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第二三心会会長 高橋 政嘉

第4回

2024/3/9

<テーマ> 山と川と集落 2024年2月

 私たちの住む川崎市北部は標高数十~百m前後の丘陵地域で、山といえば奥多摩か丹沢を指した。身近では大山と御嶽山は豊作祈願や商売繁盛を祈願する大山講や御嶽講があり、御氏に招かれて代参が行われていた。栗谷では群馬県の榛名山への榛名講は昭和40年代まで初午のあと、順番を決めて年1度代参していたように思う。
このように山は祈願の対象として存在するものであった。登戸地域では明治時代に富士山信仰が盛んとなり全国から多数の信者を集めた丸山教なども稲作の豊作祈願であるように思います。現代の山は登山にウェイトがおかれ、安全登山祈願のための神社に?叔父から昭和22年ころ、兄弟で富士登山をした話を聞いたことがあった。草鞋を綯い、腰紐に4足いわいつけて、小野路から聖蹟桜が丘まで歩き、八王子と大月で乗り換えて、富士吉田駅で下車し駅から歩き8合目の山小屋1泊し須走を下り御殿場駅まで歩いて御殿場線と小田急で帰宅したと話してくれた。よく歩いたものだと驚く。
次に川です。東は多摩川が山梨県境から東京湾に流れ下り、木材を筏組んで運んでいた。河口からは伊豆の石材を運んでいた。西は鶴見川が町田の小山田~横浜の鶴見まで流れ下る、この両河川の役割は水田の稲作の水供給が最大使命である。支流の要所に堰を設けて水田へ引水していた。細山を源とする五反田川は以前{大川 }と呼んでいた。この川に谷戸川が沢山流れ込んでいた。新川{二ケ領用水}と合流するまでたくさんの水車が昭和初期まで粉ひきをしていた。細山、大作、栗谷、五反田、飯室の各部落に水車があった。子供の水遊び場であり、魚とりの場であった。釣るより突くか網採りが面白く、ウナギもよく捕れた。
栗谷から五反田川に流れ込む谷戸川は南生田1丁目の野球場から栗谷1丁目の川戸橋までと南生田中学校の辺りにあったろうば池から吉田ビルの脇を通り五反田川に流れていた。この2つの谷戸川は南生田の地下を通る川崎水道の導水管の壁水を受けていたので水は冷たく良質米は難しかった。栗谷3丁目から五反田川への2つの谷戸があり小川が水田の際を流れていた。栗谷にとって五反田川左岸と旧津久井道間は畑と水田の良地であった、今世田谷{津久井}道と小田急線の川戸橋から生田駅まではほとんど栗谷の人の所有であった。           

第3回

2023/12/10

<テーマ> これからのテーマ・参考図書と資料 2023年12月

 1・近代以前について
① 山と川と集落 ②信仰と祭礼 ③疫病と石碑 ④生業と生活様式 ⑤食と医 ⑥まとめ 
 2・近代から現代へ
① 明治の東京遷都 ②学制制度と学校 ③近代の自治と役所 ④軍隊と徴兵制度 ⑤租税 ⑥道と交通 ⑦鉄道 ⑧ランプと電気 ⑨井戸と水道 ⑩炭焼きと薪とガス ⑪着物と洋服 ⑫葬儀 ⑬裁縫からミシンへ ⑭自給のみそ・しょうゆ ⑮店から商店街へ ⑯番地から丁目へ ⑰貨幣のこと ⑱農業の変化 ⑳町内の産業は ㉑飛脚から回覧そして電話やネットへ ㉒住宅の仕様と構造変化 等々
 3・個別事物案内
① 消防署と警察署 消防団と駐在所・交番 ②養蚕と桑の木 ③禅寺丸柿と多摩川梨 ④乳牛と養鶏・養豚 ⑤家畜と野生動物 ⑥道普請と道路改修 ⑦細王舎 ⑧日本女子大学が西生田へ⑨昭和の三田ヶ原の変遷 ⑩春秋苑と地域のかかわり⑪公団住宅~宅地造成~社宅増大そして地権者の区画整理事業へ
 4・参考図書と資料はどこで見られるか
近い順 町会会館・学校の図書館・市立図書館と分館・区役所ロビーや地域振興課・柿生中学内柿生郷土資料館         大山街道ふるさと館・中原図書館(川崎市の中央図書館)」平和資料館 以上は川崎市   

第2回

2023/9/09

<テーマ> 先人の話を聞こう・伝えていく 2023年9月

 今年も8月の台風6号の迷走に驚きました。台風の迷走は昨年もありましたが、驚きは台風の進路を気象庁が数日前から迷走のコースも、その誤差の少ないことです。気象科学の進歩に驚きます。さて、9月は秋のスタート月と以前は思っていましたが、10月半ばまで近年35度越えの夏が続いています。戦後の大きい台風が9月26日ころよく来たので台風の厄日と言われてきました。大きな台風では数時間の停電しばしばあり、ロウソクと懐中電灯が必需品でした。谷戸(やと)田の川が南生田方面から北流し、大川(現在の五反田川)に至る1キロ程にたくさんの崖崩れ跡が露出していました。崖崩れで水田が土砂で埋まり、収穫間近の稲穂をどうにかして、少しでも収穫出来たらと隣近所総出で、台風通過後はモッコで水田の土を運び出こともしばしばありました。 さて、今回から「ふるさとの近現代シリーズ」は教育者でも郷土史家でもない私(M・高橋)が40年前に亡父より野良仕事のまにまに話していたことを題材の柱として進めていきたいと思います。亡父の他、多くの先人からの話も述べさせていただきますが、私自身が聞こうとして聞いたのではなく、聞こえてきたのを今思い出しつつ書いていますので、史実との相違や、記憶ミスもあると思います。遠慮なく、ご指摘いただければ幸いです。 9月1日は210日<にひやくとうか>、10日は220日<にひやくはつか>と言って、立春の日からの日数で、草木の成長が静まり、草取りや草刈りが一段落する時期でした。関東大震災も1日で、異国人が井戸に毒を投げ入れたなどのデマが栗谷の地まで伝わったとの話や異国人が日本人を殺害して金品を強奪しているなどのデマもあり、竹藪へ隠れたなどの話をしてくれた古老もいました。関東大震災から100年の今年ですが、明治以降、『大震災』と言わる<大>の付く震災は3回。阪神淡路と東日本と関東だけです。 生田地区の祭礼のほとんどが9月に集中しています。なぜでしょうか?秋収穫の豊作祈願でしょうか。先人に聞きたいです。 栗谷の祭礼が6月の須賀社と数年前まで行っていた山王権現社が10月は禅寺丸柿の収穫や共同出荷の為でょうか。   

第1回

2023/8/12

<テーマ> 夏休みに図書館へ・栗谷のあゆみ 2023年8月

 今回、町会の「くりのわ」でお話しさせて頂いた栗谷の歴史の拡大版を「くりやニュース」に掲載頂けることとなりました。毎年8月初めの土日に多摩図書館と稲田郷土史会の協賛で{ふるさとなんでも相談会}が多摩図書館でおこなわれています。今年も十数件の質問が出たと聞いています。自分の住んでいる多摩区や生田の歴史を図書館の資料と郷土史会が所有する写真や現物を揃えて教えてくれる年1回のチャンスで、昨年は{栗谷の錦ケ丘の宅地造成の埋め立ての土はどうしたの?}と小学生が相談に来ていました。8月は先人に話を聞ける旧盆の時期です。先人の話が聞けない方は是非近くの図書館に行き、郷土史の棚の本を覗いてみてください。写真集も学校記念誌も町会史も何でもあり、相談にも探してもくれます。栗谷には平成16年に町会50年と町会会館25年の記念誌「栗谷のあゆみ」が発刊されました。多摩図書館にも置かれていますので、是非読んでいただきたい。古老の話や栗谷に在住の著名な方の文章もたくさん掲載されています。「栗谷のあゆみ」は郷土史会の役員が区内の町会史の中で最高の記念誌と褒めておりました。編集委員各位の苦労談等も一読をおすすめします。「栗谷のあゆみ」発刊から19年が経ちました。明治元年から77年が終戦の昭和20年で終戦から77年が昨年でした。コロナ感染の中、ロシアのウクライナ進行や安倍元総理狙撃など暗い年でした。今年はコロナ収束の5類移行・イベント再開や大谷翔平の活躍など国内の明るい話題もたくさんあり、生田小創立150年や来年は川崎市制100年となります。この機に「ふるさとの近現代」を月1回[くりやニュース]に掲載させて頂きます。